昭和41年01月16日  朝の御理解



 もう亡くなられましたが、日田の初代の堀尾先生の書かれました物の中に、「未完成のまま永遠に」というお言葉がありますですね。未完成のまま永遠に。私共が、完璧をきして信心を目指して行くので御座います。けれどもとても私共が完璧と云う所へ行けるとは思われません。
 此の方の事を生神生神というが、此の方ばかりが生神ではないと、みんなもここまでは信心を進めて来る事が出来ると。いわゆる、皆んなその生神様になれるんだと、生神とはここに神が生まれると云う事であってと言う風に仰っておられます様に、生神とはここに神が生まれるという事なのですから、そういう生神の境地というか、そういう気持ちを目指して、はぁこういう。
 こういう心持ちが生神の心持ちだな、気持ちだなと言った様な物を、私共が時より感ずる事が出来る、皆さんでもそうだろうと。いわゆる信心の喜びに浸らせて頂いておる時とかは、もうすでに私は生神様の心だとこう思う、信心をさせて頂いておる事の喜びというものをです、しみじみ感じられると云う事、所が私共はそれが不壊なものでない証拠にです、すぐ壊れる。
 すぐ心が暗くなる、すぐ汚れる。けれどもその壊れるから、汚れるからというて、もうこの位で良かろうと云う所には、信心の勿論限りない成長を目指すならばでけません。そこでその、どうぞ私共が未完成のまま、しかも永遠にこの事を追求し、この事を自分のものにして行く事に、私は精進させて頂くと云う事が、お道の信心振りだと言う風に私は思うですね。ある程度ん所の信心を頂き、ある所の徳を受けると、もうこれでいいんだと云う様な所がその私共の心の中にはですね、矢張り腰掛けると申しますか、もう別に食べる事に事かかん。
 家庭もおかげを頂いて、家族中の者が信心をさせて貰うて、円満であるし。もうおかげで健康で、もうこれ以上の事は何も求めない望まないと、と言う様な事ではいけない。私はこれをまぁ良くない言葉で言うならばね、金光様のご信心は、もうどこまでも貪欲でなからないかん、貪欲というとちょっと言葉がおかしいですけれども、私は信心でいう貪欲なんです。もう限りないものを頂いて行こうとする、そういう意味合いで私は三代金光様なんかは、随分貪欲な方であったと思うんですよね。
 14のお年から、74歳おありであんなさいましたかね、いわゆる60年間、60年間だったか70年間。だから84歳でありなさったかね70年間という間をお広前のご結界ご奉仕に専念されましたんですから。もう今の四代様があんなにご成人になっておられるのですから、もう大抵の所で、ここはあんたに譲ろうと、というてまぁ~60かその位で隠居なさってはいいのだけれども、もう本当にあの、お休み病気でお休みになられる、ほんな一両日前まで、御結界のご奉仕があったというのですから、大変な貪欲の方であったと思うですね。
 成る程その内容というのは、難儀な氏子が取次助けられると云う事だけに、おありなったに違いありませんけれどもです、私はお道の信心とはそんなもんだと思う。私この御造営の話が始まります時に、私はもうしみじみ感じたんです。丁度楽室に控えてその事を思いよりました。夏の事ですからそこを開けてまぁ涼しい風が、不思議にこのお広前に風が入りませんけどもこの楽室には、よう風が何時も入るんですね。
 冬は暖かだし、夏は涼しい部屋なんです。そこでこう開けてお茶ども頂きながら、じいっとあの、ま手の平ばかりの庭ではありますけども眺めさせて頂いておりますと、もう本当に、これ以上のものは何を求めるかという気がするんです。私はこの例えばこの手の平の様な庭を眺めておるだけでも、こんなに深い喜びに浸る事が出来るんだと。この葉一枚を見ても手洗いに溜まっておる、あの水の場を眺めさせて頂いても私の心の中には、もう本当に我これそその何と申しますかね、我足るを知ると云う様な言葉がありますよ、もうそういうまぁものにとはこう言う様な事だと。もう満ちたりておる。
 これ以上の事は言わん。これ以上の事何を言おうか。お広前だって段々御 信者さんがお増えになれば、ね。ご大祭でも、2日にも3日にも仕えたらいいじゃないか、もうこれで結構なんだ。これ以上の事を何を言おうかと、そんな気がするんですね。私はこう言う様な気持ちになったらです、いけません。いわゆるその仏教のう信心の先輩の方達が開いておられる、その境地なんかっていうのは、やっぱそんなのが多いですね。
 成る程素晴らしいんです。例えばあの、良寛さんの五合庵なんか、五合庵という庵を結ばれた。食べ物がなくなりゃぁ托鉢にでられる、もう五合以上の物はこの部屋にはおかんでいいんだと言う訳です。あれは誰でしたでしょうか。あのじぐしあんかなんかという、やっぱ庵もったお坊さんがあられましたですね。「焚くだけは、風が持って来る木の葉かな。」ね、もう自然がです。
 もう自分の食べるだけの事を、矢張り自然が、その私をまかのうてくれるんだから、わざわざ焚き木まで拾いに行かんでも、自然が言わばこの葉をこうやって集めてくれる、もうそういうそこに、安楽というか、安閑としてもうそこに腰掛けておれれれるところまでですか、人間がおかげを頂いたら。気持ちの上にも一つの悟りを開かせて貰。天地が私どもを生かさねばおかんというその働きに、ただ便乗しておるというだけではです。それが分かっただけではです。
 私はお道の信心振りではないと。金光様が仰った、3代様が仰っておられる様に、このう向こうの方は開けっ放しだと。おかげはもう限りがない無尽蔵なんだ、だから、こちらがその無尽蔵である所のおかげを頂きに頂かせて貰うて、尽きる事のないおかげを受けたいと、こう言う訳なんです。お道の信心は、考えようによりますと、非常にその消極的な事ある。実に消極的な事ある。別に、例えばなら先生がいちいち、外へ回ってお導きして回ったり、お話しをして回ったりする訳ではない。
 ここ畳半畳に、座り抜かせて頂いたら最後、もうとに角お参りがないならば、お供えがないならば、もうここでかつれ死んでも構わんと云う位な、私は精神の元にでなからなければ、御結界の言わば御用は出来ない。その変りに教えは求め。又は助かりを求め。救いを求めて集まって来る信者氏子の為にではです、命懸けでその人の助かる事を願わせて頂くというのが、まぁお道の信心振りですから、こう積極的にない様にあるけれども、私はこの位な、私は積極的なお道の信心はないと。
 何故かというと、もう死んでもままよというのですから、もう食べるもんがあっても外に出らんというのですから、その代わりに。こうやって尋ねを求め、おかげを求めて来る者の上には、そのおかげを取次がせて頂こうというその不退転の信心。そういう信念を持ってしなければ、とても務まらない訳ですからね。私共の信心が、これで良いと、と云う様な所で、信心を腰掛けてし貰うたんではおかげにならん。
 私がただ今、申します様に、もうこれでいいじゃないかと、わざわざ、そげん何千万もかけてから、御造営のそれに。皆が一生懸命、無理が行く様な事をしなくても、もう十分これで私は楽しめておる、楽しめておるというと、おかしいですけれども、有り難いというものが頂けておる。これで結構、信者は助かっておる。ところが、神様は私に、そうい雨様な事ではいけんと、いわゆる限りなく、限りない貪欲に、なれという意味の事を、その時頂いたんです。
 より多くの人が、よりよい信心を身に付けて行く、よりよい徳とおかげを、限りなく頂いて行く為には、どうでも御造営が必要である。という意味の事を頂かせて貰うて、新たな、まぁ元気を頂いた訳で御座いますけれどもです、そこで私はその思うんです。言わば消極的な御教えがあります。消極的にみえる、日傭取りやら、毎日その日稼ぎ、まとに角働かなきゃ食べられんと言った様な方達はです。  
 毎日ここに参ってくる訳にはいかんと、まぁひまひまに参ってこいと、又はお供えとおかげは、お供えにおかげが付きものではないと、と、例えばお供えをする事やらを消極的な表現をなさっておられます。ひまん時参ってこい、お供えはとおかげは付き物じゃないから、ま、氏子が真からお供えをする、それは神の比礼だと言う風には、おっしゃっておられますけれどもね。
 まぁその182ヶ条の御教えというものを頂きますと、そういう意味の、ま、消極的な様な感じの御教えが沢山御座います。所がです、また次には教えておられます。これは私が頂いておる事ですけども、神の云う事にもね、引いたり足したり、掛けたり割ったりしなければいかんと仰る。あぁ神様はああ仰るんだけれど、先生はああいうておられるのだけれど、これは引いて頂なならんのだろう、足していや場合によっちゃ、割ったりかけたりしてから頂かなければならないと云う所にです。
 これは限りないおかげの頂けれる問題が、ここに提起されておる様に思いますですね。そういう信心が提起されておるとこう思います。昔、太田道灌という人があった。ある時に、狩に出た。そして帰りに、にわか雨にあって、一件のまぁみすぼらしい山家やに立ち寄って、蓑の言わば傘を貸してくれとこう願、頼まれた。蓑傘を貸してくれと云う事を頼まれた、所が17・8の娘さんが出てまいりましてね、一端引っ込んだと思うたら、お盆の上に山吹の花を一枝添えて、それをどうかんに渡したと。
 あぁ俺はこんな花をくれというよるじゃないのに、身の傘を貸してくれと言いよるのに、何という分からん娘じゃろうかと、まぁ濡れながら家に帰ったというのですね。そして、家来達にその事を話した。傘貸してくれっちゆったら、山吹の花どん持ってきたちゆってから話したんでしょうね。所が中に一人の家来が進み出てから、どうかんに進言した。「それはそのご主人、本当に恥ずかしい事でした」と云う訳ですよね。「その娘さんは、おそらくその和歌の心得がったのでしょう」と。古歌に、古い歌に。
 「“七重八重、花は咲けども山吹の、身のひとつだに無きぞ悲しき”という、その歌があります」と。「恐らくその娘さんはです、その事をあなたに分かって貰たいと思うたのに違いございませんと。こうやって家を構えて、こうしておりますけども、花は咲いておる様に御座いますけれども。あなたに差し上げる蓑傘一つじゃ御座いませんのです、どうぞここは御推慮下さいというて、花を差し上げたんですけれども、あなたが文学の道というものを、学問をなさっておらないばかりにです。
 それをあなたは、腹立ちってお帰りになっておられると云う事は、まぁ情けない事でしたと。どうでもあなたは、侍というものは、武士というものは、強さえあればよい様にいうけれども、矢張り、文武両道に秀でなければ、本当の侍ではありません」というて、その進言をしたという話しがあります。神様はね、私共にその山吹の花を示して下さる様な感じがいたしますですね。
 参って来んでんよか、そげん参って来んでん、そげんお供えせんでんよか、ちゃんとおかげを頂く。けれどもです、それでは今日、私がいう貪欲なまでの信心とは言えません。あぁ言われるけれども、これには、裏があるのじゃなかろうか。これを引いたり、掛けたり、割ったりしなければならんのじゃかろうかと、ああそうですかと、ただ引き下がるだけでよかろうか。
 そうたいして参って来るなと仰ったから、参って来なかった、参らなかったと、そう繁々と参って来んでも、遠いとこからわざわざ参って来んでも、おかげは受けられるぞと言うて、教祖の神様が山口の周防の方に言われた。またある方には、同じ様な事を言われたんだけども、山口の方の先生は、ああそんなもんですかなぁというて、その月参りをなさるとを止められた。
 同じような事を聞かれた大阪の難波の教会の近藤藤守という先生はです、それはそうでも御座いましょうけれども、こればっかりはと言うて、そのお参りし続けられた。という話しがあります。それから、飛ぶ鳥を落とす様な御比礼を頂いておられた、山口の教会の方は、何時の間にか、かんこ鳥が鳴く様に寂しくなったという。ご承知の様に、大阪の難波といえば、もう言わば、あちらから東の方は皆難波の手続きと言う位に。
 大変な御非礼が輝いた。だから教祖の神様をまともに素直に受けねばならん時とです、こりゃ神様の、「久留米の初代が仰っておられた様にです、神様の仰る事は、表が三部で裏が七部と仰った。」この辺の所を私は分からせて頂く信心を持って、私は今日言う、いわゆる貪欲の信心。まぁ貪欲という言葉は悪いですけれども、いわゆる金光教の信心は、そういう一つの根性というか。
 限りないおかげ、いわいゆる日田の堀尾先生が言うておられる所の、「未完成のまま永遠に」というおかげを頂いて行く為にです、私共は本気でおかげを頂かなければならんのじゃなかろうか。昨日一昨日でした、宮ノ陣の松本さんが、今お母さんが御日参りをなさっておられたけれども、みや子さん、娘さんが変わって参っておられます。もう皆がそのお参りしたい訳なんですよね。
 だからもうお母さんしばらく交代して貰うてからお参りをする。丁度昨日一昨日の朝の御理解を頂かれて、丁度13日会のあくる日の朝の御理解を頂かれて、昨日の13日会の私の御本部の学院行きの事の付いてのお話をみや子さん聞いて帰られた。そして親子3人で話された。もうどんなに考えてもです私共が何十年の信心をさせて頂いて来たけれどですまぁいうならばその何十年間という信心は何にもなっていなかったと。
 椛目にご縁を頂いて、松本の家の私共、親子3人の者がです、本当に御道の信心によって助かった、救われたとこう、救われ掛った助かり掛った。それに先生は一年間、御本部に行かれると言う風事に決定された。皆さんもそれに同意された。けれどもここには、どうでも何か知らんけれどもスッきりしない、止むに止まれんものがある。私は今日は、また親子三人で相談し合いましてから、改めて参りましたというて、親子三人での御初奉をきちっとあの御包みになりまして、そしてもうそれっこそ、切々として今私共、松本一家の者が助かって行きおる状態の事をお届けされた後にです。
 これはあまりに私共が、出過ぎる様にも思うので、御座いますけれども、是非お許しを頂くならば、御本部にお参りさせて貰うて、金光様に、この事を一通り聞いて頂くと。勿論、「どうぞ学院に入られないように」そう言うような、お願いはもちろん致しません。けれども神様は見通しなんだ。天地の親神様の願いがどこにあるか。それは私共には分かりませんのですけれども、これだけ沢山の難儀な信者氏子が、椛目に椛目に来て集まって来ておる人たちがです。
 そうで良いだろうかと。もし金光様がそれでよいと仰るならば、いよいよもっと大きな意味合いにおいて信者氏子が助かる事の場が、椛目に生まれる事の為であろうから、けれども一応は、この事を金光様にお届けをしなければ、私共の心が済みません。出過ぎた事で御座いましょうか、止めたがいいでしょうか、お許しが頂くでしょうかというて、そのお伺いが御座いました。
 そりゃあぁた行ってくれとも言わなければ、止めもされません。これはあなたの信心なのだから。恐らく昨日の夕方の、で本部に立っておられる筈でございます。もう行く事に決められたんだ。もう私達も諦めたんだ。これでは私は皆さんの信心というものがです、それでは済まされないものがありはせんだろうかとこう思うですね。その辺には、何かこう皆さんの前にです、山吹の花を出されておられる様な感じが致します。
 これはこのまま受け取ってよいのだろうか、引いたり足したり掛けたり割ったりしてみんでいいだろうかと。私はそういう信心をそう思うてみると云う事がです私は御道の信心の言わば。私は今日それをは貪欲という言葉を持って申しましたがです貪欲の信心ではなかろうかと、その代表的なのが三代金光様であったと私共が知っておる限りの言わば先生、または金光教祖の神様やらは二代様やらは私共はよく存知あげません。ですけれども、三代様のあのご信心振りというものは、70年間という長い間をです。
 もう本当に隠居して、いわば四代様にお譲りになってもよさそうなものだけれども、それを譲られずにです。 貪欲なまでの矢張りご信心をお積みになったと、お徳をお積みになった。それは限りなく、難儀な氏子の取次ぎ助けられて行く事の為に、それであった。私共もそういう信心に感習わせて頂くと、例えていうならばです。
 悟り済ました様にしてです、ちゃんとおかげ頂くがと言った様な悟り済ました様なものではなく、それは丁度私は仏教的にいうです。 悟りに似た様なものであって、成るほど、五合ありゃ人間一人はいいですから、五合あんのような庵でも結んで、子供とマリつき歌でもうとうておりゃそれで良い様なんじゃけども、金光様のご信心はそれではいけんと云う事。